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Pfizer co.jp ホーム 会社案内 ファイザー日本法人の歴史 1974年 - 1982年ファイザー 日本法人の歴史1974年 - 1982年

農畜産業界のリーディングカンパニーとして躍進へ

農産事業部の躍進/OTC分野への進出/生産体制の強化

1970年代に入ると着実に業績を伸長。本社を新宿三井ビルに移転し、OTC分野に本格的に進出するなど、さらに新たなチャレンジを続けていきます。そうした中、医薬に次ぐ事業の柱である農産事業が大きな躍進を遂げます。

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大きな売上を記録した飼料添加剤

-農産業事業部の躍進

台糖ファイザー設立当初の1957年に飼料添加物・動物薬市場に進出して以来、農産事業部は評価の高い製品を上市し、確実にマーケットの信頼を獲得してきました。

当時、全国的に豚の赤痢が流行し、その対策薬が切望されているなか、登場したのが同剤でした。国も業界も生産者も同剤の効果を認め、大きく売り上げを伸ばしました。

1999年、ファイザーの世界戦略によって飼料添加物事業が売却されるまで、同剤は農産事業部の売り上げを支えた中心的な製品でした。

農産事業の多角化と発揮されたリーダーシップ

-HN事業とファイザー・メイト会

ファイザー社は、農産部門での積極的な新規事業を展開。HN社の育種事業(鷄)を買収し、日本でもHN事業を1974年からスタートしさせました。 1975年には、HN原種鷄農場をオープンし、種鷄ヒナの国内生産・販売を開始しました。さらに1976年には、静岡県函南町に農産技術センターを開設し、病気の診断・予防や飼料管理などの技術とノウハウをユーザーに提供しました。そうした技術や付加価値の高いサービスもまた、その後の農産事業部の躍進を支える要因となりました。1981年にHN事業は売却しましたが、その後も農産技術センターは鷄・豚を中心に、病気の診断や飼い方の指導、薬剤の開発を行うなど、確かな技術で営業部隊をサポート。生産者に高い信頼のあるサービスを提供しました。

農業技術センター

また、畜産マーケットの拡大に伴って、特約店との協力関係強化と特約店各社の相互理解を深めるために、1974年に「ファイザー・メイト会」を発足させ、会員各社の相互理解と繁栄、畜産業界の発展に大きく寄与しました。

家庭での健康管理に欠かせない治療を

-CHC事業をスタート

1975年、医薬部門の新しい柱としてOTC営業部が設立され、一般向医薬品分野(OTC)へ進出しました。人口の老齢化、疾病構造の変化に伴う急激な医療需要と、これに対応しきれない医療供給体制とのギャップの中で、セルフメディケーションが重要な役割を果たすと考えたからです。東京、大阪、名古屋を拠点に17名のMRが、OTCのパイオニアとして薬局薬店に営業活動を展開しました。

時代の変化を捉えた積極的な先行投資

-名古屋工場生産設備の拡充

1970年代後半に入ると台糖ファイザーの製造品目が広がりを見せ、名古屋工場では建設ラッシュが続きました。1978年の第2製剤工場の倍増工事完了、1979年の物流センター建設、1980年の第3製剤工場、第4製剤工場、新合成工場の建設です。

第3製剤工場は、ペニシリン専用工場として建てられ、他の抗生物質製造からペニシリン製造を分離させるのが目的。このようなペニシリン専用工場の設置は日本でも先駆けとなるものでした。

第3製剤工場

第4製剤工場は、今までなかった凍結乾燥の製品への対応のために造られた工場で、凍結乾燥機を一挙に6基導入。これもまた、当時の業界では類を見ない大規模な投資でした。

第4製剤工場

また、名古屋工場内に建設された物流センターや新合成工場にも最新鋭設備が導入されました。特に、合成工場に産業用コンピュータを導入したのは、世界のファイザーでも初めての試みでした。

新合成工場

未来を見据えた積極的な設備投資と最新鋭機器の導入が、のちのファイザーの発展を支えることになります。

日本法人の歴史

  • 1849年 - 1952年

  • 1953年 - 1964年

  • 1965年 - 1973年

  • 1974年 - 1982年

  • 1983年 - 1992年

  • 1993年 - 1997年

  • 1998年 - 2003年

  • 2004年 - 2008年

  • 2009年 - 現在

インパクト(ESG)レポート2023(英語:PDF)

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