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プロローグ [1849-1952]

日本進出までのファイザー社の歩み

1904年、ブルックリン工場で働く社員

ファイザー社が「ファイザー田辺」として日本に進出したのは1953年のこと。ファイザー社にはすでに革新と冒険に満ちた100年の歴史があり、米国屈指の医薬品メーカーとして確固たる地位を築いていました。ここでは、ファイザー株式会社の前史となるファイザー社100年の歩みを振り返ります。

1849
チャールズ・ファイザー・アンド・カンパニーがファイン・ケミカル企業として創立されました。医療分野参入後の最初の画期的製品といえる口当たりを良くした駆虫剤「キャンデー状サントニン」を生産。

1868
南北戦争当時、北軍が使用する薬品の多くはファイザー社が供給。この戦争中の躍進に伴い、1868年、マンハッタンのウォール街地区メイデン通り81番地に本社を新設。

1880
ファイザー社は輸入したレモンとライムの濃縮液を使ってクエン酸を製造。これはファイザー社の主要製品となり、その後の発展を促す基盤となる。

1919
発酵プロセスによるクエン酸の量産に成功。その結果、ファイザー社はヨーロッパの柑橘類栽培農家への依存から解放されることになる。

1928
アレクサンダー・フレミングがペニシリン菌の抗生物質を発見。医学史上に残る偉業であり、ファイザー社の将来を変えることになる事象。

1939
ファイザー社は砂糖の発酵によるクエン酸の生産に大きな成功をおさめ、1919年には1ドル25セントであった生産コストが20セントに大幅に低下し、これにより、ファイザー社は発酵技術のリーダーとして広く認められる。

1941
第二次世界大戦で従軍する連合軍兵士を治療するため、ペニシリンの製造を早めるようにとのアメリカ政府の要請に応える。

1944
第二次大戦で連合軍の兵士の治療に用いられたペニシリンの重要性を主張するポスター深底タンク発酵技術を採用してペニシリンの量産に成功し、「奇跡の薬」を製造する世界最大手となる。ノルマンディー上陸時に連合軍が携帯したペニシリンのほとんどがファイザー社製。

1950
広域抗菌スペクトルの抗生物質テラマイシンは、自社の研究者の発見・開発による最初の製品となる。海外市場へも進出し、 国際部門を設立。

新天地アメリカに芽生えた成功の萌芽

1840年代半ば、ドイツのルドヴィグスブルクから2人の青年がアメリカに渡ってきました。一人は、母国ドイツで薬剤師見習いとして化学を学んでいたチャールズ・ファイザー、もう一人は菓子職人のチャールズ・エアハルト。従兄弟同士だった二人は、ともに冒険に焦がれ、新天地アメリカでのビジネスに大いなる夢を抱いて渡ってきたのです。

その二人が1849年に設立したのが、化学会社「チャールズ・ファイザー・アンド・カンパニー」であり、これがファイザー社の始まりです。

二人にとって最初の突破口は医療分野にありました。それは、その後のファイザー社発展の前触れとなるものでした。アメリカで生産されていなかった特殊化学薬品に着目した二人は、優れた技術と顧客志向の精神をもとに、口当たりの良い駆虫剤「キャンデー状サントニン」を開発。そのヒットを機にホウ砂、ショウノウ、ヨードをはじめ10種類以上の化学薬品や医薬品の原末を製造するなど、順調に業績を伸ばしていきます。

そして、1880年にはレモンとライムの濃縮液を使ってクエン酸を製造。さらに1919年に、輸入柑橘類からではなく、発酵プロセスによるクエン酸の量産に成功します。クエン酸は薬品、食品、ソフトドリンク、洗剤、工業用などに幅広く利用され、ファイザー社の主要製品としてその後の発展を支えていきます。

その名を広く知らしめたペニシリン工業化の成功

ファイザー社の名をさらに広く知らしめることになったのはペニシリンの工業化です。ペニシリンは1928年、細菌学者アレクサンダー・フレミングによって発見され、感染症との闘いに重大な医学的価値をもつものとされました。しかし、量産を可能にする工業化の目処が立たず、十分な量のペニシリンを生産することができませんでした。1941年、ファイザー社ではペニシリンの可能性に着目し、人命を救う新薬の量産を成功させたいという思いから、リスクの高い開発に着手。クエン酸生産で培われた技術を利用することで、当初の予想を5倍も上回る量のペニシリンの生産に成功したのです。

ファイザー社が開発した深底タンク発酵技術を用いたペニシリンの量産化技術がアメリカ政府から認められ、ファイザー社は同技術を競合メーカーに提供することで、第二次世界大戦中、19社がペニシリンの製造をアメリカ政府から委託されます。ファイザー社のペニシリンは兵士たちの傷をいやし、多くの人々の命を救うことに貢献しました。

米国のファイザー社から世界のファイザー社へ

ペニシリンの発見と生産は、医学の革新時代の幕開けとなりました。抗生物質がいかに重要な薬剤であるかを認識したファイザー社は、新しい抗生物質の発見に全力を注ぎます。そして1950年、広域抗菌スペクトルの抗生物質テラマイシンの開発に成功。これを機に、ファイザー社は原末供給だけではなく、自ら開発した医薬品をファイザーブランドとして販売する医薬品メーカーに生まれ変わりました。

1950年代に入ると、アメリカ国内だけではなく海外にも目を向け、積極的な海外進出を展開。世界各地における支店、子会社、パートナーシップの設立など、米国のファイザー社から世界のファイザー社へと成長を遂げていきます。

そして1953年、ファイザー社の目はこの極東の日本へと向けられたのでした。

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