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ファイザー株式会社 Working together for a healthier world より健康な世界の実現のために
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発展期[1983-1992]

世界を見据えたグローバル・カンパニーへ
-「台糖ファイザー」から「ファイザー製薬」へ-

1980年代に入り、世界経済の中で大きな役割を担いつつあった日本。それに呼応するように、ファイザー株式会社も変革の時を迎えます。中央研究所の設立、感染症領域での大型新薬の上市、そして「台糖ファイザー」から「ファイザー製薬」へ。21世紀に向けた飛躍の序章が始まりました。

1985
(6月)中央研究所設立。

1986
(6月)【スルペラゾン】(複合抗生物質製剤)発売。

1989
(6月)ファイザー製薬株式会社に社名変更。

(6月)【ジフルカンカプセル・静注液】(深在性真菌症治療剤)発売。

1990
(1月)CHC事業部が発足。

(4月)【カルデナリン】(α1ブロッカー血圧降下剤)発売。

1991
(2月)会長に紫野巖が就任し、社長に谷口準が就任。

ウィリアム・C・スティア・Jr.が社長兼CEOに就任。

1992
(3月)財団法人ファイザーヘルスリサーチ振興財団を設立。

スティアは会長に就任。中核事業である医薬品とアニマルヘルス製品に再び重点投資を行なう。ファイザー社はゾロフト、ノルバスク、ジスロマックスの3大新薬を発売。

日本における創薬を目指して研究開発が本格的にスタート
-中央研究所の設立

1968年、日本での新薬申請のための一般薬理試験と毒性試験の実施を目的とした薬理研究所が設立されました。1972年には微生物研究所が設立され、当時、世界的にも高く評価されていた日本の発酵技術を応用して土壌微生物由来の抗生物質探索に着手したのです。

さらに、1980年代に入って抗生物質以外の新薬群で画期的な成功を収めたファイザー社は、グロトン(米国)、サンドウィッチ(英国)の研究施設の大幅な拡張に続き、日本へも研究開発への投資を拡大。1985年に第3研究棟が新設され、探索部門としての中央研究所の設立と、1981年に設立された生化学研究所と薬理研究所を統合し、新薬の前臨床試験を行う新薬開発センターが設立されました。日本の研究は、その時まで微生物起源の新物質発見におかれていましたが、これによって日本でも化学合成と薬理学的スクリーニングによる新化合物発見の研究として、グロトンと共同で「炎症」分野の探索研究が始められることになります。1992年には、新たな研究領域として「鎮痛」が加わり、1996年には、新薬開発センターが、中央研究所に統合され、研究開発体制の一本化が図られていきます。

新しいグローバル企業として”ファイザー”ブランドを強調
-「ファイザー製薬」の誕生

1980年代後半、日本は世界経済の中で重要な地位を占めるようになりました。日本市場の自由化・開放が強く求められるなど、否応なく国際化への対応を迫られたのがこの時期です。製薬業界にも、確実に国際化の波が押し寄せ、日本の製薬企業の海外進出が活発化するとともに、国内市場での有力企業間の競争が激しくなりました。

そうした情勢の中、国際競争に対応するため、「ファイザー」という世界市場共通のブランドを内外に強調し、今後の会社の歩む方向と活動基盤を明らかにし、あわせて1983年より100%ファイザー資本となっている実態を表現するために、1989年6月、台糖ファイザーは「ファイザー製薬」と社名を変更しました。

新社名とともに、全社員が力強い会社に変えていくという気概をもって、ファイザー製薬の新しい時代の幕開けとなりました。

試練の時を経て新たなマーケットの創造へ
-1980年代以降の農産事業

1980年代前半まで、他社の羨望を集めるほど好調だった農産事業部ですが、1980年代後半に入り徐々に業績は低迷していきます。製品の特許が切れて後発品が発売されたり、日本人の食生活の変化や畜産業界の変化なども大きく影響したといえるでしょう。

その中にあって1983年、松枯れ防止用樹幹注入剤「グリンガード」が上市され、以来、20年以上にわたって、農産事業部の売り上げに貢献していきます。

農産事業部は、これまで畜産を中心に抗菌性飼料添加剤を主体としたビジネスを展開してきました。しかし、時代はペット等のコンパニオンアニマルおよび畜産用ワクチンが拡大しつつあり、このマーケットニーズに対応し、ライブストック、コンパニオンアニマル、プラントヘルスを3本柱に事業を展開致しました。

感染症メーカーとして揺ぎない地位を確立
-「スルペラゾン」「ユナシン」「ジフルカン」の発売

抗生物質を原動力として成長してきたファイザー製薬は、1980年代に発売した複合抗生物質製剤「スルペラゾン」、合成経口ペニシリン製剤「ユナシン」、深在性真菌症治療剤「ジフルカン」によって、感染症メーカーとしての地位を確固たるものにします。

血液疾患や癌治療時、臓器移植後、あるいはエイズなどの免疫機能が低下した患者さんの真菌感染症は非常に難治で、この分野の新製品が強く望まれていました。このような状況から、ジフルカンは1988年5月に厚生省に製造承認申請をして1年足らずという異例の早さで承認されました

しかし、時代は変化し、医薬品に対するニーズも大きく変化しつつありました。

1989年、日本の薬効別医薬品生産額で、循環器用薬が初めて抗生物質を上回りトップに立ちました。戦後終始トップにあった抗生物質の生産額が循環器用薬に抜かれたのは初めてで、社会の高齢化に伴う医薬品需要の構造変化を示すものでした。厚生省の薬事生産動態統計でも、循環器用薬の対前年伸率が10%以上を記録したのに対して、抗生物質の生産額の伸びは3%と停滞しており、日本の医薬品市場の構造的変化を如実に表していました。

そうした時代とマーケットの要請にあった戦略を展開すべく、ファイザーではすでに循環器用薬の開発に着手しており、1990年代より全世界で次々と循環器用薬を上市していくことになります。

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